夏の日差しと死の匂い -推しの文殺を見た-
今年も夏が終わる。
オリンピックも花火も海も何もなかったけど、夏が終わる。
令和2年8月29・30日、私は朗読劇「文豪、そして殺人鬼」を見ていました。
これは考察や感想ではなく、単なる日記です。
※完全にネタバレはしませんが、少し内容に触れます。
初演キャストでの再演、というのは私にとって本当に待ち望んでいたものでした。というのも、ファンの間で「自分の推しが文殺に出たら全通したほうがいい」と言う声も上がる中、私の推しは初演にキャスティングされていたのです。(当時の私は何をしていたのか?たぶんまだ声優の現場にビビってた頃ですね。ドアホかな)
しかし、過去の公演CDを聞いたときに私は衝撃を受けました。
この素晴らしい演目をどうしても推しの演技で聞きたいと。
そんなこんなで、奇跡的に再演を見ることが出来ました。
せっかくなので記録しておきます。
そもそも推しさんは、朱知のような役は珍しいような気がします。繊細で純粋な役どころの演技を見ることはそう多くありませんが、私はこのラインの演技が一番好きです。
YouTubeのラジオか何かで、このラインは競合がどうのって話をしていたような覚えもあります。
私は推しさんの朱知は最高だったと思います。
儚く繊細で、透明感のある演技が大好きです。
文殺では、食べ物に関して特に印象的だと思います。
キャストによって全く違う「くりーむそーだ」の言い方。
アドリブ含め焼肉のシーン、ラーメンを食べながら会話するシーン、そのどれもが記憶に鮮明に残りました。
私は、自宅で急にクリームソーダを作り出して家族に心配されました。
これは演劇全般に言えることですが、キャストによって受ける印象が全く異なるところについて書きたいと思います。
本当に同じ脚本なのか?と疑うほどキャストの解釈によって演技が異なりますが、その中で1つだけ変わらないのが迎える結末だと思います。
この文殺という物語の中で、3人がどう考えどう動こうが運命は決まっているような気がして、やるせない気持ちでいっぱいです。とてもつらい。
特に、推しさんの演技だと心から望んで微笑んであの場所へ飛び込んだように思えてとんでもなくつらい。
尺さんの善性が強くて、そのあとのシーンがどこにも行けない諦めのように見えたことを覚えています。照明がまるで夏の刺すような夕日で、それも相まって苦しいシーンでした。
文殺の舞台は夏ですが、日本の夏は死を特に連想させる、という持論を持っています。
盆があるから、終戦のこと、あおむけに転がったセミ、バカみたいな気温、たくましく育つ植物、何に起因するかはわからないけれど、死を感じる季節は?と聞かれれば迷いなく夏だと答えます。
夏が持つ生命力が、どうにもならない死をかえって引き立たせる。そんな気がする。
あの人と同じく死ねなかった我々は、朗読劇が終わってからもずっとその死を背負わされてるようでつらい。
配信が切れてイヤホンを外した瞬間、聞こえてきたセミの声が怖い。
時間が過ぎて秋が来ても、この夏が絶対こびりついてる。
めちゃくちゃ怖いんですけどどうしよう。
なんで生きてるの私。そんな気持ちでずっとぐるぐるしています。
これを書いている今もセミの声が聞こえてるけど、現実か幻聴かわからない。助けてほしい。
推しさんの演技は、特に彼らにとってはあの結末が幸せ(最適解)だったように感じ取れたのですが、それゆえこっち側がより地獄になってしまった。
どうしようも無かったし、そうなるしかなかった。
あなたならどうしましたか?って聞かれたら、朗読開始10分に乗り込んで大暴れして舞台を終わらせるしか思いつかない。やめな?
物語が進んでいくにつれ、どんどん退路が絶たれていった。もともとそんなものは無かったのかもしれないけれど、追い立てられるように進んでいったと思います。
ヒグラシの鳴き声とか、鋭い日差しがじりじりと責め立てるような印象だった。
もし舞台が冬だったら?少なくとも最後去っていくあの人の印象は大きく変わっていると私は思います。私は。
この先ずっと考え続けることになるんじゃないかとも思います。
あの後幸せになれたのか?たぶんそうじゃない気がする。宗教とか文化とかに詳しくないからわからないけれど。
聞いている側はあまりにも無力過ぎて、もうどうしようもない。
感情ぐちゃぐちゃにされたまま向こうに行かれたら、我々どうすればいいんですか。
どうにもならなかったからこうなったんだよなあ。
とにかく推しさんの演技が良かった。こちらからは以上です。
夏がもう終わるというのに、とんでもないものを背負わされてしまった。夏を終われなくなってしまいました。
明日は8月32日。
答えなんて出ないのに、夏に思いを馳せ続けてしまっている。